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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)10972号 判決

原告

富永勝

被告

柳貴澤

主文

1  原告に対し、

(1)  被告柳貴澤は金一、一七〇万五、二六一円および内金一、〇七〇万五、二六一円に対する昭和四八年一月一四日から、内金一〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を

(2)  同柳成秀は金一、一七三万〇、六七一円および内金一、〇七三万〇、六七一円に対する昭和四八年一月一四日から、内金一〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

2  原告その余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担、その余を被告らの連帯負担とする。

4  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金三、一一四万四、一八五円とこれに対する昭和四八年一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  事故の発生

1 日時 昭和四五年一〇月二三日午後零時五〇分ごろ

2 場所 東京都台東区松ケ谷一丁目一番一号通称菊屋橋交差点

3 加害車 普通乗用自動車(足立五み二〇九〇号)

運転者 被告柳成秀(以下単に「成秀」という。)

4 被害車 自動二輪車(新宿区な七一九号)

運転者 原告

5 事故の態様 被告成秀は、右交差点にさしかかつた際、前方の信号が赤となつていたのであるから、交差点の手前で停止して、信号が青に変るまで待つべき義務があるにも拘らず、これを怠り、一旦停車したのち、信号が未だ赤を示しているのに急発進した重大な過失により、折柄同交差点を青信号に従つて進行中の被害車に自車前部を衝突させて、原告をはねとばした。

6 結果 右事故により、原告は、入院約二ケ月、通院約七ケ月を要する左下腿挫創および左足関節脱臼骨折の重傷を負つたうえ、右治療によるも全治するに至らず、左足関節変形固定という後遺症のため、歩行不能等の状態に陥つている。

(二)  被告らの責任

被告成秀は前記過失により本件事故を惹起させた者であり、同柳貴澤(以下単に「貴澤」という。)は、加害車を所有して自己のため運行の用に供する者であり、また、被告成秀を自己の経営するビニール・ポリエチレン袋の加工、販売、運搬の業務に使用する者で、本件事故は同被告が右業務の執行中前記過失により惹起させたものであるから、それぞれ後記原告の損害を賠償すべき責任がある。

(三)  原告の損害

1 治療費 金四一万七、〇五〇円

2 付添看護費 金七万四、一八五円

3 入通院雑費 金四万七、九五〇円

(イ) 入院中の原告のフトン借用費 金一万五、八五〇円

(ロ) 入院中のテレビ、ストーブ借用費 金三、四四〇円

(ハ) 入通院中の接待費および諸雑費 金二万八、六六〇円

4 入通院交通費 金二万七、七六〇円

5 オートバイ修理費 金三万三、八八〇円

6 逸失利益 金二、六一二万三、三六〇円

原告は、本件当時富永商店名で肉商を営み昭和四五年当時年間三七四万五、二八五円の純益を得ていたが、前記後遺症のため、四五パーセントの労働能力を喪失した。原告は本件事故当時三九才であるので就労可能年数は二四年間である。これをホフマン方式により中間利息を控除して逸失利益を算出すると、金二、六一二万三、三六〇円となる。

7 慰謝料 金五〇〇万円

原告は、従業員数名を使い、富永商店の責任者であつたほか、一家の主として生計の支柱であつたが、本件事故のため、経営者としての活動を大きく阻害されたうえ、家計維持者としての将来に多大の不安を抱かせることとなり甚大な精神的打撃を受けた。その他諸般の事情を考慮すると、慰謝料としては金五〇〇万円が相当である。

8 弁護士費用 金一六〇万円

原告は、被告らに全く誠意がないので、やむなく昭和四六年七月三〇日本件事故による損害賠償請求に関する一切の件を東京弁護士会所属弁護士下山田行雄、同岡部琢郎、同長瀬厚一郎に委任し、その手数料および謝金として、同弁護士会報酬規定に定める報酬額標準の最低割合である損害額の五分に当る金一六〇万円を依頼の目的を達すると同時に支払う旨約した。

(四)  結論

よつて原告は、被告らに対し各自、以上の損害金合計から自賠責保険から取得した金二一八万円を控除した残額と、これに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年一月一四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

請求原因一の事実のうち、1ないし4の事実を認め、5の事実中、加害車と被害車が接触したことは認めるが、その余を否認し、6の事実中、原告が負傷したことは認めるが、その余は知らない。

同二の事実のうち、被告成秀が同貴澤の業務の執行中に本件事故を惹起したことを否認し、その余の事実を認める。

同三の事実は知らない。

同四のうち、原告が自賠責保険金二一八万円を受領したことを認め、その余の主張を争う。

三  被告らの主張

被告成秀は、本件交差点にさしかかつた際、対面信号が赤であつたので停止し、交差する道路の信号が赤に変つたのを確めてから発進した。一方原告は、時速四〇粁で同交差点まで進行し、交差点の直前に対面信号が赤に変つたので、交差点の直前で停止すべきであつたのにそれをなさず、同一速度で交差点に進入し、直進した過失により、加害車を避けきれず、自車前部を同車の右前部フエンダー付近に衝突させたものである。従つて、被告成秀には、本件事故につき何らの過失もない。仮りに同被告に過失があるとしても原告には右の如き過失があるから、過失相殺されるべきである。

四  被告らの主張に対する原告の答弁

被告らの主張を争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因1ないし4の事実、同5および6のうち加害車と被害車とが接触し、原告が負傷した事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  被告らの責任

1  被告成秀の過失

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

本件事故現場付近の道路状況は、南北に通ずる車道幅員一五・七五米の道路と、東西に通ずる車道幅員二三米の道路とがほゞ直角に交差しており、本件当時信号機により交通整理が行なわれていた。当時の信号のサイクルは、南北の道路は青二八秒、黄四秒、全赤二秒、赤三四秒で、東西の道路は青三〇秒、黄四秒、全赤二秒、赤三二秒であつた。

被告成秀は、加害車を運転して西から東に向けて進行中右交差点に差しかゝり、信号に従つて一旦停止したが、横断歩道上であつたため、車を交差点内に進め、横断歩道を過ぎた直後に停止した。加害車の左側にはスポーツカーが止まつていたので、同被告は、信号待ちの間これに気を奪われており、南北の道路の信号が黄から赤に変つた直後右スポーツカーが急発進したため、これにつられて東西の道路の信号を確認することなく発進した。その直後右側間近に接近している被害車を発見し、急停止の措置を講じたが及ばず、同車と衝突した。

一方、原告は、被害車を運転し、時速四〇ないし四五粁位で南から北に向けて進行中、前記交差点に差しかゝり、前方の信号が青から黄に変つたのにそのまゝ右交差点に侵入し、横断歩道を通過した直後の衝突地点から一四米位手前で、加害車が発進するのを認め、衝突の危険を感じたが、狼狽のあまりブレーキをかけることができず、そのまま進行して加害車に衝突した。

以上の事実が認められ、右認定に反する〔証拠略〕はたやすく措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そして、右認定事実を総合して考えると、原告が右交差点に侵入したのは、南北に通ずる道路の信号が黄から赤に変る直前であり、右信号が青から黄に変つたのは、原告が交差点の手前で停止することが十分可能なだけ、交差点から離れていたときであつたと推定される。

以上の事実によれば、原告にも黄信号で交差点に侵入した過失があるが、被告成秀が発進した時には未だ東西の道路の信号は赤であつたものと推測されるのに、同被告はこれを確認しないで発進したものであり、この点において過失責任を免れない。

2  被告貴澤の運行供用者責任

被告貴澤が加害車を所有して自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

3  被告貴澤の使用者責任

被告貴澤が同成秀を自己の経営するビニール・ポリエチレン袋の加工、販売、運搬の業務に使用していたことは当事者間に争いがないが、本件事故が同貴澤の業務の執行中に惹起されたとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。

三  原告の損害

〔証拠略〕によれば、原告が本件事故のため、左下腿挫創、左足関節脱臼骨折の傷害を受け、そのため西宮病院に、事故当日から六四日間入院し、その後昭和四六年七月三一日に症状が固定するまで実日数四三日通院したが、左足関節が変形固定し、自動、他動運動とも不能となり、歩行装具なしには歩行できないなどの障害を遺したこと、その後他の病院で治療を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告が本件事故により蒙つた損害は左のとおりである。

1  治療関係費 金四一万三、六四五円

〔証拠略〕によつて認める。

2  付添看護費 金七万四、一八五円

〔証拠略〕によつて認める。

3  入院雑費 金一万九、二〇〇円

原告は、入院中の原告のフトン借用費、入院中のテレビ、ストーブ借用費、入通院中の接待費および諸雑費として、合計金四万七、九五〇円要した旨主張する。しかし右のうち入院中の原告のフトン借用費は〔証拠略〕によれば、前記治療関係費に含まれていることが認められるので、さらにこれを認めるに由ない。その余の費用については、証拠略によつてもこれを直ちに認めがたく、他に適格な証拠はないが、入通院に伴い雑費を要することは明らかであり、その金額は入院(通院については後述)一日当り金三〇〇円程度であると推定される。従つて、六四日間の入院期間中の雑費として金一万九、二〇〇円を認める。

4  入通院交通費 金二万七、〇〇〇円

〔証拠略〕により、通院に伴う雑費を含めた費用として少くとも金二万七、〇〇〇円を要したものと認める。

5  オートバイ修理費 金三万三、八八〇円

〔証拠略〕により認める。

しかし、前記のとおり、原告は被告貴澤の使用者責任を問うことはできないので、この費用を同被告に対して請求することはできない。

6  逸失利益 金一、四六四万六、三一九円

〔証拠略〕によれば、原告は、本件当時富永商店名で食肉販売業を営んでいたが、これは同人の父が昭和三年ごろ開業したものであり、原告が、昭和三三年ごろ経営が行きづまつた際に父から受け継いだものであること、営業従事者としては、原告のほか、年老いた父母、兄夫婦がおり、他に親戚の者一名を雇つていること、原告が主として金融、仕入、大口取引先関係の業務を担当し、兄が近所の配達、店頭販売を主として担当していたこと、原告の妻は本件事故前は病院に勤務していたが、事故後退職して原告の看護をするとともに富永商店の仕事に従事するよううになつたことが認められる。

次に、収入の点についてみると、官公署作成部分の成立について争いがなく、その余の部分につき〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

富永商店における昭和四五年の売上高は五、三〇八万三、三七五円であり、以下昭和四六年が六、二四九万九、〇八四円、昭和四七年が七、五一七万〇、八二八円であり、原告の入通院等の事情が介在したにも拘らず売上高は上昇している。しかしこれは、原告の分をも負担して働いた前記親族の努力に負うところが大である。

一方、昭和四五年の同商店の収益は、売上のほゞ〇・〇九五四に当る五〇六万五、二四五円であり、この割合によつて計算すると、昭和四六年で五九六万二、四一二円、昭和四七年では七一七万一、二九六円となる。なお〔証拠略〕によると、富永商店の収入としては、右営業収入のほかに不動産収入があると認められるが、特段の事情の認められない本件では、この分は原告の労働能力の有無と直接関係があるとは言えないので、この分は除外して原告の逸失利益を考えることとする。

以上の事実から考えると、原告の営業に対する寄与率は、三〇パーセント程度と認められ、また、前記原告の傷害の部位、程度、入通院状況、後遺障害の程度、仕事内容等からみて、原告は、本件事故のため事故当日から昭和四六年三月末日まで一〇〇パーセント、同年四月一日から同年七月三一日まで七〇パーセント、同年八月一日以降四〇パーセントの労働能力を喪失したものと認められる。

以上の事実と、〔証拠略〕により原告が昭和四六年八月三一日生れであると認められ、昭和四八年一月一四日以降なお二六年間は労働可能であると推定されることから、結局原告の逸失利益は、次の算式により、ライプニツツ方式により中間利息を控除すると、昭和四八年一月一三日現在の原価において金一、四六四万六、三一九円となる。

〈1〉  昭和45年10月23日から昭和46年3月末日まで

506万5,245円×0.3×160/365=66万6,114円

〈2〉  昭和46年4月1日から同年7月31日まで

596万2,412円×0.3×0.7×122/365=41万8,512円

〈3〉  昭和46年8月1日から昭和48年1月13日まで

(596万2,412円×153/365+717万1,296円×378/365)×0.4×0.3=119万1,122円

〈4〉  昭和48年1月14日以降

717万1,296円×0.4×0.3×14.3751=1,237万0,571円

(なお、以上認定した富永商店の収益は、いずれも本件発生後に作成された〔証拠略〕によつて認定したものであるが、この書証の信用性については疑問の余地がないわけではないので、この点について付言する。

右書証のうち最初に作成されたものは、〔証拠略〕であるが、これによれば当初昭和四五年の営業による原告の所得金額は八一万一、二四三円であるとして税務署に申告されたが、その後前記五〇六万五、二四五円から専従者給与として一六八万円を控除した残額三三八万五、二四五円と修正したうえ昭和四六年六月八日に申告されたことが認められる。このことだけからすれば、本件事故による損害賠償請求のための準備手段として修正申告をしたのではないかとの疑問を禁ずることはできない。しかし、官公署作成部分の成立につき争いがなく、その余の部分につき〔証拠略〕により真正に成立したと認める。〔証拠略〕によれば、昭和四二年ないし四四年の確定申告についても、いずれも昭和四五年一一月一八日に修正申告がなされており 富永商店の営業収入についてみると、昭和四二年分は一〇二万七、〇七〇円から二二〇万二、八九五円に、昭和四三年分は七八万二、三四〇円から二六二万七、三七九円に、昭和四四年分は一〇四万五、七〇〇円から三三六万八、八一六円に大幅に修正されていることが認められる。この修正申告をした理由につき、〔証拠略〕には、税務署から調査を受けたために修正申告をしたとあり、右修正申告の時が本件事故後一ケ月にもならず未だ原告が入院中のことであることなどから判断して、〔証拠略〕を排し、本件損害賠償請求のための準備行為であるとするのは、いかにも行きすぎであるとの感を免れない。そうとすると、昭和四二年から四四年までの分の修正申告額は信用に値するものというべきである。然して、昭和四四年の修正申告額と昭和四五年の前記修正申告額とはほとんど差がないこと、前記昭和四五年、四六年、四七年における売上金額の上昇割合も労働大臣官房労働統計調査部の賃金構造基本統計調査による賃金の上昇率に比してそれ程著しい差異がないこと、前記の方式により算出した原告の年収は右調査による全産業全学歴男子の同年令層の年収に比してそれ程著しい差異がないことなどの事情をも考慮すると、昭和四五年以後についての前記書証について、その信用性に疑問の余地がないわけではないにしても、他に特段の反証のない本件においては、なお原告の収入算定の資料とする価値は十分あるものと考える。)

7  慰藉料 金二〇〇万円

前記認定の諸事情、その他記録上認められる諸般の事情に鑑み、原告に対する慰謝料としては、金二〇〇万円をもつて相当と認める。

四  過失相殺

前記のとおり原告にも本件事故につき過失があつたものと認められるが、前認定の本件事故の態様に鑑み、原告の過失割合を二五%と認め、この割合により、原告の損害に対し過失相殺する。

五  損害の填補 金二一八万円

原告が自賠責保険から金二一八万円の損害の填補を受けたことは当事者間に争いがない。

以上により算出すると、原告に対し、被告貴澤は金一、〇七〇万五、二六一円、同成秀は一、〇七三万〇、六七一円を賠償すべき義務がある。

六  弁護士費用 金一〇〇万円

原告が本件訴訟の追行を弁護士に委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、そのための報酬等については何らの証拠もないが、弁護士に訴訟追行を委任した以上、そのための報酬等を支払うべきことは当然のことであり、本件認容額、訴訟経過、その他の事情に鑑み、原告が本件事故と相当因果関係にある損害として被告ら各自に請求しうるべきものとしては、金一〇〇万円をもつて相当と認める。

七  結論

以上により、原告は、本件事故による損害賠償として、

1  被告貴澤に対し金一、一七〇万五、二六一円および弁護士費用を除く内金一、〇七〇万五、二六一円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年一月一四日から弁護士費用である内金一〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日からいずれも支払ずみまで、民事法定利率年五分の割合による金員の支払を

2  同成秀に対し金一、一七三万〇、六七一円および右同様内金一、〇七三万〇、六七一円に対する昭和四八年一月一四日から、内金一〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を

それぞれ求める権利を有するので、原告の本訴請求を右の範囲で認容し、その余を失当としていずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀬戸正義)

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